こんぱち。

音楽サークル「ましろ。」についての情報やDTM、ゲームについてだらだらぐだぐだ語ります。 たまにゲーム以外の事も。

 

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Memory Of Decade - バーチャファイターについて語る -


Category: PS3   Tags: PS3  バーチャファイター  セガ  
前回の記事で書いてたけど、ちょっとバーチャファイターについて語りたくなった。

ゲームそのものより当時の思い出話とかバーチャファイターを取り巻く空気とか。

Decadeは10年って意味合いで別に今そうじゃねーだろと思うかも知れませんが、自分にとっては色んな意味での10年なのです。

※リリース情報や細かい部分はWikipediaを参照するが、違いがあったり記憶の齟齬があった場合はさらっと流して頂ければ。動画大量、超長文。

どうやら自分はバーチャファイターに浅からぬ縁があるようだ、と最近思うようになった。
「バーチャ2」がアーケードに登場したのが1994年。今から18年前。
当時中学生だった自分がたまたま入ったゲームセンターで見かけたのが初めてだったと思う。
「バーチャファイター」の存在自体は知ってはいたものの、「2」の動く画面を観たのはそれが初めてだった。
秒間57.5フレームで描画される美しいテクスチャが貼られたキャラクターモデルに強く惹かれたのを覚えている。
確かこの時はまだ稼動直後だったか、プレイする人もほとんど居ないような状態だった。



と言うのも、やはり「1」のポリゴンモデルでは従来の格闘ゲーマーには受け入れられにくく、爆発的な人気という訳でも無かった。
(カプコンやSNK系統の2D格闘ゲームと比較してプレイ感覚が全く違う、操作方法も違う事もあったかもしれない)
自分の記憶では当時ゲーム雑誌でもアーケード系以外の雑誌(当時はまだ月刊アルカディアがゲーメストだった)ではほとんど特集される事も無く、ファミ通が細々と攻略記事を載せていた(「バーチャファイターTODAY」)程度、だったと思う。
かく言う自分もやはり、2D格闘ゲームの鮮やかな画面に比べると地味だった「1」は印象には残っていなかった。
ただ、当時のゲームの中で「2」の映像は圧倒的だった。
「2」のデモは何周観たか解らない、とにかくその時の1プレイは今でも記憶に残っている。
筐体がアストロシティじゃなく、「1」からの流用筐体で画面が50インチほどあった事も覚えている。

自分の初プレイは確か、CPUのカゲ辺りに負けた記憶がある。
技なんて何も解らない、コンボもへったくれも無い初プレイだった。
「バーチャファイター2」が社会現象化してTVや雑誌で取り上げられる少し前の出来事。
そしてジャッキーとはここから「バーチャファイター3tb」までのおよそ5年余りを一緒に過ごす事になる。



ここからサターン版「2」が発売されるまで足しげくゲームセンターに通うようになったが、田舎の方の空気はブレイク直前でも盛り上がっていたとはお世辞にも言い難い。
ただとにかく覚えているのは自分のような子供だけではなく、大人(当時の自分からすれば)や女性の姿をちらほらと見かけるようになった事だった。
この頃は当然インターネットが一般化しているハズも無く、入ってくる情報は全て雑誌頼みだった。
ファミ通やゲーメストで有名プレイヤーが紹介される度に「どういう人なのか、どういう動きをするのか」とずっと想像を働かせていた記憶がある。
今でも「スタープレイヤーは誰?」と聴かれると新宿ジャッキー、ブンブン丸、池袋サラが真っ先に思い付く。
恐らく当時のプレイヤーのほとんどが同じ事だったと思う。特に経済力の無い子供は。
遠出とか遠征なんて当然出来る訳がなく、地元の小さなゲームセンターでCPU戦、時々対戦、というような具合だった。
勿論それだけで凄く楽しかったし、何よりあの映像のキャラを自分で動かしている、という事で全て満足だった。
そんな田舎の空気とは裏腹に、「バーチャファイター」を中心とする空気は大きく動いていく。



ゲームが、しかもマニアックな部類に入るはずの格闘ゲームがTVやゲーム雑誌以外のメディア、果ては新聞にまで取り上げられるなんて誰が想像しただろう?
この空気は当時、実際にプレイしていた人でないと絶対に解らないものだろうと思う。
シーンの中心となる新宿・スポット21は「聖地」と言われ、連日凄まじい人数が並んでプレイしている…、と当時の雑誌は一様に書き立てた。
実際にこの頃からプレイ人口は爆発的に増え始め、ブレイク直前でも関係が無かった田舎ですらその波が押し寄せてくる。
そうなると、「何処の誰が強い」といった話も自然と出てくるが、いくら県内とは言え遠出は出来なかった自分にとっては憧憬にも似た何かがあったと思う。
相変わらず自分はと言うと、CPU戦、時々対戦だったから。それでも以前よりは対戦が増えたかな? という程度だった。
そしてそうこうしている内に、サターン版「バーチャファイター2」が発売される。

自分がサターンを買った理由は至極単純だった。「バーチャファイター2が出来るから」。本当にそれだけだった。
対戦は時々していたものの、それよりも自分はキャラを動かしているだけで楽しかったのは変わらなかった。
結局、サターン版「2」は今思えば「完全移植」とは言い難かったものの、(代表的な所にアーケード版は秒間57.5フレーム、サターン版は秒間60フレームである事やモデルに光源処理がなされていない事、ステージ背景等の一部簡略化がある)当時の自分にはそんな事はどうでも良かった。
ただ色んな媒体を読み漁り、コンボを練習して少しアーケードで対戦する、というサイクルだった。
そんなこちらの状況とは全く違い、「バーチャ」を取り囲むシーンは最高潮に膨れ上がっていた。



ここから「バーチャファイター3」までの間に「バーチャファイターキッズ」がリリースされているが、自分はこれはプレイしていない。
「2.1」を更にバランス調整を施した「キッズ」ではあったが、自分の中ではどうにも受け入れられなかった。
後年「ファイターズメガミックス」(セガサターン、96年)で「キッズ」のキャラも使用可能だったが、それまで一切触った事は無い。
アーケードで「3」がリリースされてからも自分のスタンスは変わらなかった。
更に美しくなったグラフィック、Eボタンの追加、アンジュレーションの追加、全てが新しい体験だった。
そして恐らく、自分の中でのバーチャファイター熱もこの頃が最高潮だったと思う。
この頃には少しの閉塞感も生まれていた。
シーンの中心は相変わらず熱いけども、田舎の方では基本的に「攻略記事の受け売り」がほとんどを占めるようになる。
勿論それが悪いという事では無いが、「それぐらい出来て当然」という空気が徐々に芽生え始めていたのも事実。
また、人口が増えるという事は良い事ばかりでは無く、モラルやマナーの低下も招いた。
そういった事もあって、(自分も高校生になって色々と忙しかったという事もあるが)少しずつゲームセンターへ行く頻度は減っていく。



アーケードでは「バーチャファイター3tb」がリリースされていたが、自分はあまり「3tb」はプレイしていない。
ドリームキャスト版で初めて本格的に触ったという感じ。
98年にドリームキャストのロンチとして発売された「3tb」はまだ自分に本体と同時購入させるほどの魅力は持っていた。
しかし、この頃は「バーチャファイター」よりも、ドリームキャストで初めてインターネットに触れた感動が大きかったと思う。
(当然、家でバーチャ3が出来る事にも感動していたが)
田舎ではプレイ人口が限られていて、ましてや小さなゲームセンターであればすぐに顔見知り程度にはなってしまう。
それが閉塞感を感じていた原因の一つだったとは思う。
そんな折りにドリームキャストのインターネット機能は全国のプレイヤーとの意見交換、雑談などを一気に持ち込んで来た。
セガBBS。セガ伝言板。
恐らくドリームキャストでインターネットを始めた人の過半数が最初に訪れた所ではないかと思う。
自分も例外では無く、「バーチャファイター」の他、多岐に渡るツリー型掲示板の集合体。
この頃はゲーム自体より他のプレイヤーと話せる事が楽しくて仕方なかった。
この時に所謂「オフ会」というものも経験し、何人かの人とお会いすることも出来た。

これが既に13、4年前の話。

セガの家庭用ハード事業撤退に伴うドリームキャストの生産中止、PS・PS2の凄まじい躍進もあって、セガBBSに訪れる人はゆっくりではあるが、少しずつ減っていく。
自分は相変わらず入り浸っていたが、知っている人、知らない人が完全に入れ替わった頃にアクセスしなくなったように思う。
あの当時によく話していた人たちは今どうなっているのか、今もバーチャをプレイしているのか、していないのか。
それ以前に今現在生きているのかどうか、それすらも解らない。
もはやハンドルネームもうろ覚えだし、当然本名も住所も、はっきりとした年齢すらも知らない。



そして、自分の中でのバーチャファイター熱も段々と冷めていく。
もはや惰性でドリームキャスト版をプレイしていたようなもので、アーケードでもプレイする事はほとんど無くなっていた。
2001年にアーケードで「バーチャファイター4」がリリースされて、稼動初期に少しプレイ。
PS2版は買ったがあまりプレイせず。
2003年にはPS2版「バーチャファイター4 EVOLUTION」がリリースされてこれも買ったが、やはりほとんどプレイはしなかった。
社会人になって時間がなかなか取れなくなった事、他にも趣味が色々出来た事、要因は色々あるけれど「動かしているだけで楽しかった2」の感覚になれなかった事が一番大きかったと思う。
この頃にはもう、誰が現在のスタープレイヤーなのかという興味もほとんど無かった。



そこから大体9年。何で今更PS3で「バーチャファイター5 FINAL SHOWDOWN」をプレイし始めたか?

最大の理由は、ドリームキャスト時代にセガBBSでよく話していて、何度か遊んだ事もある友人と去年再会したという事がある。
彼がたまたまこちらに来た時に手紙を投函してくれた事が切掛だった。
それ以前に最後に会ったのが確か、2001年頃だったと記憶している。
それからおよそ10年。何処ぞの歌よろしく本当に10年後の夏に再会するとは夢にも思っていなかった。
当時に連絡先を交換していたものの、10年経てばそりゃ変わる。
もはや音信不通か…、と思っていた矢先の出来事だった。
そんな二人が10年振りに会って話す事は何か? 必然的に当時の思い出話になる訳だ。
真夏のクソ暑い時期に遊んだ事や横須賀のドブ板まで行った事もつい先日にように思い出せる。
そして、10年経っても話せる「バーチャファイター」は本当に凄いゲームだった、と実感する。
そんな彼と最近また、Twitterでバーチャファイターについて話していた折りに「FINAL SHOWDOWN」がPS3/Xbox360でDL配信されると聴く。
これはもう巡り合わせなんだろう、と思った。
今まで色んなゲームをプレイしてきて色んなゲームに惚れ込んだが、ゲームの方からここまで自分の人生に関わってきたゲームを他に知らない。
およそ10年振りに触ったジャッキーにも、旧友との再会に近いものがあった。
「2」や「3」時代によく使っていた技が無くなっていたり、違う技や新しい動きが追加されていたり、「お前10年経っても変わってねーなー、あれ、そんなん出来るようになったんかお前」という、懐かしさと新しさが同居した、「旧友との再会」という言葉が一番しっくり来る感情がある。

とにかく、また当分よろしく頼むよ、ジャッキー。



で、まぁ、当然こんな真面目に〆るつもりは無い訳だ。
BGMについての話。
「FINAL SHOWDOWN」をDLして一番サプライズだったのが、BGMを「1」~「5 R」まで選べる仕様だった事。
「カスタムサントラとか対応してたら2と3の曲入れたいな」と思っていた所にこれは個人的に嬉しすぎる。
勿論、「2」「3」時代に居なかったキャラのBGMは通常仕様になるんだけども。

自分が一番思い入れがあるのが「2」、もしくは「3」であるのは先に書いた通りだけど、やっぱりBGMもその二つに思い入れがある。
「2」と「3」のサントラは定期的にずっと聴いていたから、今でも自分の中で古いとはあんまり思わなくて。
特にサターン版「2」に収録されていたアレンジ版はサターンのディスクからリッピングして「2」のサントラとまとめてフォルダに放り込んであったりする。(2004年リリースのPS2版にも収録されている)
特にこの辺の曲は今でも人気があるんじゃないかな。







Escapeは自分でも耳コピしてニコ動に上げている。



「Ride The Tiger」の哀愁漂うサビのフレーズは今でも大好きだし、「FINAL SHOWDOWN」で聴いても全く聴き劣りしない。
「3」からだと個人的には…。







この辺りが好きな曲。
Open The Deadgateに至ってはつい先程、2012年MIXとしてニコ動に上げた所。



データ自体はもう何年も前にMIDI(SD-90のGS音源)で打ち込んでいて、それのアップグレード版と言うか、音源差し替え版。
オケヒは良い感じの音が無かったから入ってないけど、ドラムにBFD2、ギターは生。
今では個人でMODEL3を余裕で超える音源を扱えるのが時代を感じさせる。
ちなみに、GS音源で打ち込んだものがこれ。どちらかと言うとMODEL3寄りの音。
聴いてもらえりゃ解るように、ベースが異常にムズイ。
当時ベースの音を採るのに相当悩んだ記憶がある。
まぁ、Open The Deadgateはサビのパートを作りたいが為に全パート作ったんだけど…。
何にせよ、「2」「3」はBGMも秀逸だった。

BGMの話はこれぐらいで、更に余談。

一大社会現象となったバーチャではあるけれど、北米ではジェネシス(メガドライブ)版バーチャファイター2が発売されていた。
これは近年、Wiiのバーチャルコンソールでついに日本でもプレイ出来るようになったぞ!
面白いかどうかは全く別の話だ!
いや、まぁ、凄い事は認めるけどね…、違う意味で。



それと、地味~にバーチャ2がアーケードでリリースされた翌年、「1」にテクスチャを施した「バーチャファイターリミックス」なんてのもリリースされている。
これも自分は未プレイ。
と言うか「2」があんだけ盛り上がっていたあの時に発売する意味があったのかっていう…。



更に、北米ではサターンが苦戦していたまだまだメガドライブが現役だった時、セガはメガドライブの延命措置として、「スーパー32X」というドーピング追加周辺機器を発売していた。
これは日本でも発売されたし、対応ソフトも少しはあったので「持ってたよ!」って人もいるかもしれない。
で、これにも「バーチャファイター」はリリースされていたりする。



ぶっちゃけ、移植度がどんなもんか気になります。

セガの暴走チャレンジはとどまる所を知らず、実はゲームギアにまで移植されている。
それがこれ。



と言うのも、当時バーチャはアニメ化されていて、このゲームギア版は「あくまでも」そのアニメ版がベースとなっている訳で…。
1分37秒付近でアキラが「これ マジなの? ねぇ マジマジ?」とか言ってる画面があるけど、そっくりそのまま俺の台詞だよ!! もう何でもアリじゃねーか!!

変わり種、でも普通に遊べる、という意味では「Virtua Fighter 10th Anniversary」の一本だろう。
海外ではPS2版「バーチャ4 EVOLUTION」にボーナスとして同梱されていたものなんだけど、日本では10周年記念ムックのオマケとして販売された。
要は「バーチャ4」を「バーチャ1」のグラフィックで遊ぼうぜ、というもの。
見た目は懐かしいけど、実は意外と普通に遊べたりする。



で、この「10th Anniversary」。これ、DVDビデオもあって実はこの映像が当時のバーチャを取り巻く環境や盛り上がりを知る貴重な一本だったりする。
ムック販売当時で「バーチャ4 EVOLUTION」なので今観るとそんなに最近の映像でも無いんだけど、「2」「3」時代の有名プレイヤーが出演してコメントしてたり、当時のスポット21の様子、大会の様子なんかが映ってて当時の空気感を感じられるビデオ。
YoutubeではPart仕様なので、とりあえずPart1だけ貼っておく。



以上、久々にバーチャをプレイしたら色々と思う事が出てきたので一気に吐き出してしまった。
一応、「FINAL SHOWDOWN」ではオンラインもぼちぼちプレイしております。(PS3版)
もし当たったら…、ぶっちゃけ初心者と大して変わらん状態なので、半笑いで殺してあげて下さい。
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Comments

バーチャ3が高校の時でした。記事見てたら懐かしくて涙が出ました。
みんながいろんなゲームやって盛り上がってたゲーセン、本当に楽しかったなぁTT
 
Re: タイトルなし
どうもコメントありがとうございます。
自分はちょうど高校の時にドリームキャスト…と同時にバーチャ3を買いましたw
対戦モードが無いとか当時は気にしていませんでしたが、今となっては変な移植ですね…w
しかし、バーチャ3が出来るのが未だにドリキャスだけ、ってのが問題な気がしてきました。
 

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